映画「漁港の肉子ちゃん」感想(ネタバレあり)

渡辺歩監督の「漁港の肉子ちゃん」観てきました。背景映像の美しさを「街並みや人との関係は移り変わっていく」ということを際立たせるために逆説的に用いて、「"今"そこに生きて居る」という足元を確かめることで少女が時の流れを受け入れられるようになる、という演出がとても凄い作品でした。

以下、ネタバレ感想となりますのでご注意ください。
移り変わっていくものと、キクコの心情などについて述べています。

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美術設定でおそらく一番印象に残るのは、キービジュアルになっている船の家でしょうか。
原作未読のため、このビジュアルにあるようにデッキの部分で魚を釣ったり本を読んだりと、そういう田舎の漁港の生活を描いた作品なのかなと思っていました。

いやほんと、グラスボートの家なんてワクワク要素ですよ、普通なら。でもそれは最小限に留めておいて、家の中はザ・生活感という。
船は映画オリジナルとのことですが、魚を眺める親子の対比であり不安定・流動的な生活の象徴として扱うというその演出にしびれました。 
金魚鉢や用水路も同様の効果をもたらしており、印象に残ります。

また、漁港なのに海をあまり感じさせないのは、海が循環の行きつく先として「母なる海」であったり懐の深さであったり、どうしても「流動」ではなく「安定」の要素を強く持つからではないかなと考えました。
一方で食べるのが魚ではなく肉なのは、身体や性など、逆に「自分自身にどこまでも付随してくるもの」ということなんじゃないかなあと思います。

とにかく「漁港の美しい田舎町」というようなテンプレートな借景をしていないところが驚きで素晴らしい作品でした。改めて渡辺監督のすごさを感じます。
港より水田、海産物より焼肉。馬頭観音は大きな災害で移設されたものであり、福祉施設の入館はICカード認証にAIロボット、神社の名前は落書きされてそのままになっている…
背景美術が美しければ美しいほど、私などは「変わらずにそのままであってほしい」と勝手な理想を見出してしまいますが、望むと望まざるとにかかわらず、世界は現実に即して変わっていくのだということを、本当に自然に描写していました。
二宮くんの作る模型が「これは完成するというものじゃないんだ」と言っていたのも、そういうことですよね。

さらに、キクコのクラスの人間関係にしても、地元の金持ちのおしゃれな子より運動のできる質素な転校生(特殊な家庭だということは知られているにもかかわらず)を取り込もうとするあたり、とてもリアルで現代的に思えます。
肉子ちゃんは確かに目立つ存在ではありますが、「田舎=閉鎖的で変化を避ける」という単純な文脈にのせることもなく、彼女自身の魅力で居場所を築いているように見えました。肉子ちゃんたちが各地を流れてきた背景も合わせて、この物語が舞台を限定したものではなく、普遍的で誰の人生にもよぎる想いを感じさせるものになっていたと思います。

そうした「変化していくもの」と対比になっていたのが、この映画の重要な軸となるキクコの心情です。
キクコは友達や肉子ちゃんとの関係が変わってしまうこと、今暮らしている場所を離れることなど、大切なものを失うことを恐れ、言葉や想いを表に出せずにその身の内に飲み込んでいました。
その抱え込んだ不安に身体が悲鳴をあげる形で比喩されていたのが、盲腸だったのでしょう。
ショートヘアにTシャツという服装も含め、大人の女性の身体に成長することも無意識のうちに忌避していたのだと思われます。

そしてこれらは「思春期だから」「特殊な家庭だから」という枠内でおさめてしまえるような描写ではありません。
この映画を観る人の心に蘇ってくるものだったり、あるいは現在感じている想いを重ねられるものだと感じます。

「変わることは失うこと」なのか。とてもとても怖いよね。
でもその時感じた幸せは確かにそこにある。その時周りに居てくれた人と、あなたに向けてくれた愛は確かに存在する。あなたは今そこに生きて居る。
その”今”の足元を確かめられたとき、やっと時の流れる先へ進んでいけるのかもしれない。

キクコが病院で想いを吐き出し、肉子ちゃんたちの言葉を受け止めたとき、遅れていた雪が降りだしたのは、彼女の時間が進みだしたことを表していたのだろうと思います。
初経を迎える場面については賛否あるようですが、まさに自分の意志とはかかわりなく変わっていくこと、「大人という何か」になっていくことを象徴する出来事だと思いますので、肉子ちゃんがそれをただ「おめでとう」と肯定し祝福するというあの言葉で結ぶのは、とても重要なことだったと感じました。

実母である「みう」についても色々と意見がありますが、個人的には同じだったのではないかと考えています。
「母親になる」ということはそれまで生きてきた自分とは違う存在になることなのか。人生が大きく変わる岐路。それまで自分で選んできたのか流されてきたのかわからないような生活だったかもしれないけれど、ここからはずっと背負っていくことになる。
キクコが生まれたときの喜びや愛情は確かにそこにあったものだけれど、その足元をひととき闇が覆い隠してしまった。

一緒に扱うのは少々乱暴なのかもしれませんが、キクコが感じていたものと根本的には同じ、未来への恐れというものが母子で重ねてあったように思えます。
「望むと望まざるとにかかわらず変わっていくもの」は誰しも人生において直面するものだと思いますが、女性の場合は身体に明確に生じる変化として訪れるので、折り合いを付けて、それを超えて未来へ進むというのは、当たり前ではなく、とても怖くとても勇気のいることだと感じました。

サッサンが言った「そこに生きて居る」ということ。それを体現しているのが肉子ちゃんなのだろうなと思います。大阪弁だけど大阪生まれじゃない、土地と男と職業が移ろって、失ったものも数知れない、笑顔が絶えないけど悲しかったこともたくさん抱えている。それでも今そこにあるキクコとの日常を愛し、生きている。

肉子ちゃんのような人がそばに居てくれる状況ばかりではないのは承知しています。けれどもこの映画を綺麗ごとだとは感じません。

キクコがこの作品の中では肉子ちゃんやサッサン、二宮くんやマリアやみう、町の人たちに囲まれて、確かに生きているのと同じように、現実でもあなたはそこに生きているし、きっと愛してくれる人もいる。
世界は勝手に移り変わっていくし、周りの人もいつかいなくなってしまうとしても、その瞬間は大切なものであると信じることができる。
その足元を確かめたとき、前へ進む勇気を少しだけ後押ししてくれる、
そんな映画なのではないかと思いました。

これを書いている私自身、とても変化に弱く、将来とか未来が怖くて怖くて仕方がありません。
前に進むことはまだできないかもしれませんが、この映画を観たことで自分が何を恐れているのかを知り、自分が手にしているものの温かさというものを深く考えることができました。

ということで、
私の文章ではなんだか重い面ばかり触れてしまいましたが、本編は明るくテンポの良い会話で進んでいきますし、映像の美しさはとびっきりです。
いろいろと繊細な問題が出てきますので、どうしても合う合わないは生じてしまうのかもしれませんが、変化や未来に対する恐れを少しでも照らすものになればと、この映画をぜひ多くの方に観てもらえたらと願います。

長い文章でしたがここまでお読み頂きありがとうございました。
いつか、この感想を自分で読み返す未来が、楽しみなようであり怖くもあり……けれどもこうして書き残せて良かったんじゃないかなと思っています。

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