映画「STAND BY ME ドラえもん2」感想(大人のび太の描き方とオチに対する疑問)
映画「STAND BY ME ドラえもん2」のネタバレ有り感想です。
やや批判的な文章になってしまったのですが、好きだという方を否定するつもりはありませんし、この映画が「悪い」ということでもありません。「こんな感想の人もいるんだな」くらいで流して頂ければ幸いです。
また、できればぜひとも実際の映画をご覧頂けますようお願いします。(感染症予防の観点から無理しない範囲で!)
以下、結構厳しい言い方になっている部分もありますので、この映画が楽しかったという方には不愉快な文章になっている可能性があります。勝手なことで申し訳ありませんが、ご容赦頂ける方のみお進みください……本当にごめんなさい。
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2014年に制作された前作スタンド・バイ・ミードラえもん(以下「SBM1」)では、7つもの原作エピソードをつなげているせいで、登場人物の感情の流れが不自然になっていることが問題だと感じました。
(前回の感想記事をご参照ください)
具体的にはのび太とドラえもん、のび太としずかのエピソードが交互に来るせいで、それぞれの親交がこま切れになっていて、十分な積み重ねができていないのに、なぜかクライマックスでどちらも成就したことになっていることに違和感を持ちました。
今回のSBM2では、結婚式当日ののび太の様子をオリジナルで描くことを中心とし、そこに原作の「おばあちゃんのおもいで」と「ぼくの生まれた日」のエピソードを加え、さらに若干「45年後…」と「しずちゃんさようなら」(SBM1に引き続き)、「のび太の結婚前夜」(SBM1に引き続き)の要素が入れられていたと思います。
前作に比べるとオリジナルの部分が多めになったため、エピソードの反復横跳びをしている印象はなくなり、一つの物語として筋が追いやすくなっていたと感じました。この点は本当に、すっきりとして観やすくなったと思います。
けれども、おばあちゃんに会いたい、おばあちゃんの願いを叶えたいという話から、結婚に不安を感じるのび太の話になり、最後にまたおばあちゃんの話に戻るという構成は、「結局結婚の話とおばあちゃんの話、どっちの映画だったのだろう?」という疑問が残るものになってしまいました。
仮に「おばあちゃんに結婚式の様子を見せるために、逃げたのび太を戻さなければならなかったのだ」というのであれば、主軸はおばあちゃんの話になるはず……
ならば「結婚式の様子を見せてくれたことよりも、そのために色々のびちゃんが頑張ってくれたことが嬉しい」と、小学生ののび太を認めてくれた場面がこの映画の集大成になるはずですが、そのことをのび太は「ワスレンボー」で忘れてしまったのですよね……
おそらく、今回の騒動の記憶があると、のび太が逃げ出す一連の出来事が未来で発生しなくなるので、そういう構成にしたのだと思いますが、個人的にはここが釈然としませんでした。
現在ののび太が忘れていても、過去のおばあちゃんが体験できたならそれで良いじゃないか、とすることもできるでしょう。けれども、おばあちゃんに結婚式を見せて満足するだけではなく、その結果おばあちゃんから掛けてもらったあの言葉が重要だったわけですし、それは今後ののび太の人生において道を照らし続けるものになったはずなので、「なんで忘れさせた!?」と思わずにはいられません。のび太の頑張りを認めてくれたおばあちゃんの気持ちを否定する行為でもあります。
一連の出来事を覚えていたなら、確かに今回の騒動は起きなくなってしまうかもしれません。けれどそれは「しずかが結婚相手ではなくなる」というような大規模なルート変更になるわけでもなく、むしろ当日に逃げて皆を傷つけるようなこともなくなるので、全て円満なのではないでしょうか(おばあちゃんの願いを叶えることはのび太が逃げなくても達成できるため)。
そもそも「セワシがドラえもんを送り込んだことで未来が大きく変わる」というのがこの作品の発端ですので、未来を絶対変えてはならないということはないはずです。
「この騒動を経ないと結婚式後にのび太が迷って失踪する可能性がある」という説も考えましたが、のび太がおばあちゃんからかけてもらった言葉(&今回の騒動のひどさ)を覚えていれば充分代替となり、心の支えとなっていくことと思います。
唯一、大人のび太のスピーチだけは、逃走を経ていないと”全く同じ文章”にはならないかもしれませんが、それも前述のとおり、子どもの時に体験した騒動と、生まれた日の両親の様子、今回のおばあちゃんとの思い出が忘れず心に残っていれば、拙くとも充分想いの伝わるものになるはずです。
また、入れかえロープのトラブルが結構ギリギリであったことを考えると、出来事を繰り返した場合、「次」は上手くいかない危険性すら生じてくるのではないでしょうか。
このように、同じルートを進む必然性は無いし、しずか達を傷つけることも含め、避けられるなら避けてほしい、鑑賞後に余計なもやもやを生み出す描写にしかなっていない、という気がしました。
あるいは根本的な話として、SBM1の「しずちゃんさようなら」編の時点で、小学生ののび太が「ぼくとしずちゃんが結婚すると不幸になる!」と同じことをやっているはずなので、なんでまた大人になってからまた繰り返しているのかがよく分かりませんでした。あれも忘れちゃったのかなあ?
説明が長くなり伝わりにくくなってしまいましたが、のび太に映画後半の出来事を忘れさせたことに文句を言いたいというよりは、「おばあちゃんの話と結婚の話、どちらを主軸にするかが定まっていない」構成が問題と考えております。
いっそのこと、未来ののび太の結婚話を主に据えてしまった方が良かったのではないかとも考えました。「いや、元々この映画の主軸はそっちだろ」という意見もあるかもしれませんが、それならば、おばあちゃんとの交流の部分、そちらにも全て大人のび太が同行すべきだったんじゃないかなと考えます。
例えば最初から、何らかの方法で現代にやってきた大人のび太の依頼で野球や喧嘩など子ども時代の体験をし、生まれた日に行き、おばあちゃんにも会う、という流れにしていれば、「自分には大切にしてくれた家族がいる、友達がいる、だから幸せになれる」というスピーチにも、より自然な説得力が出たんじゃないかなと感じました。
大人のび太は、もちろんおばあちゃん(やおじいちゃん)のことも念頭に置いてスピーチしているはずなんですが、この映画の中では彼はおばあちゃんに会っていないし、あの最後の言葉も聞いていない、しかも子ども時代の経験すら忘れているので、せっかくの要素が、名場面が、おばあちゃんの気持ちが、作品の中で意味のあるものとしてつながっておらず、なんともったいないのだろうと思ってしまいました。
そういう意味では非常に言葉が悪いのですが、SBM1でエピソードが細切れになっていて「それが映画の中でどういう意味を持つか」が考えられていない、という問題が今回も出てしまったかなと考えています。
いや、物語の落としどころはすごく良かったんですよ!
のび太の結婚にまつわるエピソードでは、これまでの映画やテレビでは主に「のび太の持つ優しさやしずかへの想いを具体的に描いて示すことで視聴者としずかを安心させる」というアプローチが王道としてとられてきました。しかし今作ではそれらとはまた違った方向性として、「のび太は家族に愛情を注がれて育った、友達にも支えられた、だから幸せな家庭を築いていける」と示しており、「なるほど!こういうやり方もあったのか!それもいいな!」と、新たな可能性を感じることが出来ました。
また、おばあちゃんについてもランドセル姿やおよめさんを見せること自体が目的ではなく、泣き虫でちょっとわがままだった小さいのびちゃんが、大切な人のために頑張れるいい子に育つんだとおばあちゃんに感じてもらえることが本質だったのだと理解でき、それが果たせて本当に嬉しく思いました。
その落としどころがすごく良いものであったからこそ、だからこそ、その過程をもっとちゃんと積み重ねてほしかった! その結末にもっと説得力を出してほしかったと願わずにはいられません。
◇
それについては、もうひとつ、大人のび太の人間性がひどすぎることも物語の足を引っ張っているように思えました。
ぶっちゃけてしまえば「クズ」で「ダメ人間」すぎるということです。
これが観ていた側の主観ではなく、意図的にそうしていたことはこちらのインタビュー(2020年11月21日時事通信)で「大人ののび太の『ダメっぷり』をとことん強調した」と脚本・共同監督の山崎さんが語っていたことから明らかです。
私がのび太好きなので、ifとは言えあまりのひどさにショックを受けたことも大きいのですが、そうした個人的感情を除いても、映画にマイナス効果しかもたらしていないと感じました。
つまり、大人のび太の人格が度を越してひどいと、そんな彼を愛して認めてくれた人々が不自然になってしまい、その想いが否定されてしまう、ということです。
おばあちゃんやパパママが愛し、しず父が認め、ドラえもんやジャイスネ出木杉が生涯の友として付き合い、しずかが結婚相手に選んだ人物が、「とことん強調されたダメ男」として描かれていると、買いかぶりすぎではないか?なんでそういう評価になったのか?と説得力が無くなってしまい、最後のスピーチを含めた物語のドラマ性をも削いでしまっていると感じたのです。
そもそも結婚に不安を持って逃げ出してしまうことも胸が痛くなる展開なのですが、それ自体はこの映画の肝ですので良いとします。
では、私が何を具体的にひどいと感じたかと言うと、大人のび太が全てにおいて自分勝手すぎるということでした。
まず式を放置して現代にやってきた理由について「こんな自分ではしずかを幸せにできないかもしれない」と語りながらも、皆を悲しませて良いのか問われると「そんなの平気さ、自信さえついたら結婚式の朝に戻るつもりだった」と平然と言ってのけるなど、なぜそこでそんな算段ができるのか、本当に真剣に悩んでいるのか?と疑問に感じました。
さらにタイムテレビでのび太を待ち続けるしずかの姿を見たときも「ごめんよ、でももっといい相手を見つけたら幸せになれる」と一方的に切り捨てたかと思えば、「誰か知らない人と幸せになっている姿は見たくない」と言い、「でも万が一不幸になってたらもっといやだあ」と叫ぶ。
しずかのことを全く考えていない二転三転、その身勝手さに子どもののび太ならずとも頭を抱えたくなりました。
加えて結婚について迷っているだけならまだしも、なぜかその話を忘れたかのように子ども時代に戻りたいと言い出し、現在ののび太と入れ替わって遊びに行く始末……
「あ、ここからは原作の『45年後…』のエピソードに突入するんだね、だから前のパートと感情がつながってなくても仕方ないね」と、割り切れれば良かったのかもしれませんが、それはそれで、SBM1から引き続く問題点が同じように表れてしまっていることになります。
いや、もう、本当、構造上の問題点うんぬんよりも、あの悲しそうな未来のしずかを見た後で、ルンルンと野球しに行かないでくれ!!という気持ちになりました。
そこまでして強引に切り替えた子ども時代のエピソードが、のちの披露宴スピーチに繋がっていく体験として必要なのはわかりますが、ジャイスネをわざわざ怒らせるようなことを言ったり、不良たちを過剰に煽るのはなぜなのでしょうか? どうしてわざわざトラブルを起こすようなことをするのか、大人のび太はジャイアンたちがこの時代で実際に存在していると思っていないかのような、自分の楽しさだけを追い求めた行動を取っていて、これもまた観ていて辛い点でした。(原作の「45年後…」はわざわざ人を怒らせるような行動はとっていません)
これでは不良が執拗に追ってくるのもやむなし、逆にジャイアンとスネ夫、そしてしずかがなぜ助けてくれたのかという説得力にも欠けます。
こうした大人のび太の一連のダメっぷりについて、「元々こんなものじゃないか?」、原作「雪山のロマンス」などでも頼りなくてダメな青年として描かれているだろうという意見もあるかもしれませんが、前述のように山崎監督が「とことん強調した」と証言していることに加え、以下の三点によってそれは違う、過剰であると考えております。
まずはどの時点ののび太であっても「大切な人が悲しんでいるのを放って遊びに行く」、「わざわざ人を怒らせるような煽り方をする」ような人物ではないだろうということです。
私ものび太が優しいだけの人物とは思っておらず、むしろクズな部分も欠かせないとは感じますが、「のび太の地底国」や「たまごの中のしずちゃん」あたりが原作における最悪描写だとしても、やっぱり今回の振る舞いはちょっと行き過ぎではないかなと思えました。
煽りに関してはわりと近いときもあるかもしれませんが、他者の身体を借りた状態でやらかしていることや、中身が10歳ではなく大人の人間であることを考えると同条件とは言えず、より悪質と思えます。
また、自分が原因で人を悲しませたままでいるようなエピソードについても、記憶の範囲内ではちょっと思い当たりませんでした(いつも0点をとってママを悲しませていることですら、別に良しとはしていないので)。個人的にはそんなのび太であってほしくないと願います……
二つ目に、原作「雪山のロマンス」の描写は”それが描かれた時点の未来”であるということです。連載当初はのび太の結婚相手はジャイ子でしたが、未来が変わってしずかとなったのは承知の通り。そして「雪山~」の時点で「そばについててあげないとあぶなくて見ていられないから」としずかが結婚を申し出るわけですが、私はこの評価が最終的な未来ではない、と考えています。
あの情けない姿を見たのび太がまだまだ頑張り続けることで、しずか父が認め、出木杉が大切な息子を信頼して預けていくような未来にたどり着けるのではないでしょうか。
連載末期の発表であるこの「しずちゃんをとりもどせ」のエピソードのルートにたどり着いたのび太としずかがどのような恋愛をするのかは不明ですが、「あぶなくて見ていられないから」と称された、そのままののび太ではなくなっていると思われます。
となるといっそ、「今回の映画はその”ダメなルート”の大人のび太を描いた話なんだよ!」と仮定することもできますが、それなら原作通り「こんなみっとものないのはいやだ!」と現在の子どものび太が奮起をしなくてはならないはずです。そうすれば「回避すべき未来」として、今作の大人のび太があえて徹底的にダメな人間として描かれていることに意味も出てくるでしょう。
しかしこれまで述べてきたように、映画の結末で子どものび太は「ワスレンボー」で一連の騒動を忘れてしまっているので、この説は成り立たず……今回の記憶がなければ、反面教師ともならず、そのままダメなルートに突入してしまう可能性が大となります。
本当に、大人ののび太をここまでダメ人間にした意味は何だったのか!?となってしまいました。
私は夏の映画の感想で「エゴに走る問題人物が居たとしてもそれは物語上そういう役割を与えられているからであり、それを理由に”作品そのものに問題がある”とするのは違う」と述べましたが、改めて補足すると、それは作品の中で問題行動をする理由や意味がある場合に限ると思っています。(それまでの誤りを反省して共に乗り越えるドラマにするなど)
山崎監督は前述のインタビューでのび太のダメっぷりをとことん強調した理由について、「ダメな男が頑張るから面白い」と語っているので、それが狙いなのでしょう。
けれど今作の大人のび太は頑張っていたか?そして面白かったか?と考えるとどうしても納得することができませんでした。
騒動を経て多少は反省しただろうし、喧嘩から逃げなかったのは立派だったのかもしれない、周囲の愛情を理解しただろうし、それを生かしたスピーチができたのは見事だったかもしれない。
しかし作中で「頑張った」のは小学生ののび太とドラではないだろうか。大人のび太はほとんど能動的に動かず、周りの事態に流されて、結果いくばくかの学びがあっただけではないだろうか?
マイナス200のダメっぷりがプラス2になるような話だったけれど、なぜそんな極端なマイナス値で描いたのか? マイナス2がプラス200になるような「頑張り」の話じゃだめだったのだろうか?と、思えて仕方がありませんでした。
「いやいや、あのスピーチ良かっただろうが!」とお思いの方も少なくないことでしょう。確かにスピーチの内容はとても良かったです。だからこそ、だからこそ! この場面に至るまでにもっと説得力を出してほしかった。そこに行くまでの出来事が「徹底的にダメ人間として描かれたのび太」ではなくて、その優しさとか勇気とか、何度もつまづきながらも最後には起き上がる強さとか、そういうものであってほしかった。それでこそあのスピーチが彼の中から出てくることに納得がいっただろうと思うのです。
これは私の個人的感情以外でも、物語の構成上もそうであるべきだった、と考えます。
常にのび太のそばで見守っていたおばあちゃんは、泣き虫でわがままなのび太くんに振り回されていたわけじゃなくて、あの子の良さを感じていただろうし、幸せでかけがえのない時間を過ごしていたはず。そして、きっと優しく強い子に育ってくれると信じていたはず。
だから小学生、そして大人になった結婚時と、おばあちゃんがそう信じた通りに優しく強い人物として成長した姿を描くことで、それが間違っていなかったと裏付けるべきでした。それでこそおばあちゃんのパートと結婚式のパート、この映画の2つの要素が意味のあるものとしてつながっただろうと思えるのです。
おばあちゃん、ドラえもん、そしてしずかと、それぞれの人物とのび太の間で「STAND BY ME」=そばにいてほしい/そばにいたいという関係性が自然なものとして納得いくようにするには、大人のび太は「とことんダメ人間」では無い方が良かったと言えるのではないでしょうか。
まとめると、大人のび太が徹底してダメ人間に描かれているのは意図されたものであるが、
・ダメな人間が頑張る面白さが出ているとは言い難い
・子どもののび太がそのダメっぷりを反面教師にして頑張る話でもない(忘れてしまう)
・ダメさが度を越しているため、大人のび太をとりまく人物たちの愛情や評価に説得力が無くなっている
という以上の点で、この映画における大人のび太のダメさ強調は不必要であると考えました。
もう、感情的になっちゃいますよ……そもそも大人のび太が結婚式当日に現れない、その時点で現在ののびドラが探しに行く話では駄目だったのでしょうか?
なぜそのあとの混乱をじっくり描いて、逃げたのび太のひどさを際立たせたのか?
のび太の両親が申し訳なさそうにしている姿なんて見たくなかった、居なくなったのび太を一年も待っているしずかなんて見たくなかった。チャペルの誓いもケーキ入刀も出木杉くんのメッセージもみんな「本物ののび太としずか」で経験してほしかった。
そんな想いをしずか達にさせておいて、あの大人のび太は「決心がついたら帰るつもりだった」などと言って現代ののび太の姿でトラブルを巻き起こす…そこまでダメ人間であることを執拗に描く必要はあっただろうか?
彼女と一緒に居たいという願いを確かめる物語にするために、あそこまでひどい性格にすることと、騒動を必要以上に長く描写する意味があったとは、どうしても思えませんでした。
また、これは映画の感想そのものから外れてしまうかもしれませんが、原作のある作品において、主人公クラスのキャラをわざわざカッコ悪く描くということに何のメリットがあるんだ?という疑問も大いに感じています。昨今は漫画作品の実写化、アニメ化、たくさんありますが原作ファンの動員を期待しているならそれはかなりリスキーではないでしょうか?
物語の必要上あえて悪くしているとか、反省して変化していく過程を描いた話だというならまだしも、そうでないのはここまで述べてきたとおり。元々そんな良い性格でもないだろと言われても、強調ぶりが「度を超えている」ため、作中で彼を愛して認めてくれている人々の説得力や気持ちをも吹き飛ばす逆効果となっていました。
「銀河超特急」でメタ発言されているように、いいじゃないですか、「映画になるとカッコいい」のび太だって。ダメなのび太は普段のテレビ版とか原作でいっぱい描かれています。
3DCGの素晴らしくきれいでわくわくする映像、私はそこでかわいいドラえもん、美しいしずか、そしてカッコいいのび太が観たかったのです。
本当にイチャモンになってしまって申し訳ないのですが、「ドラえもん」以外の作品で想像してみたとき、例えばラップの芯を振り回して必殺技を真似したマンガ、寝る間を惜しんで遊んだ大好きなゲーム、それらが映画になった時、「登場人物のダメさを強調して面白くしました!」と言われたときに、「ええええええ!?」となる、その気持ち。
決して全員がそうだとは言いませんが、中には「観たかったのはこういうのじゃないんだ!」と思う人間も出てしまうのもご理解頂けないだろうか? と、面倒くさいファンからの一方的で無茶苦茶だと承知しながらも、そんな気持ちを抱いてしまった作品でした。
◇
少々脱線してしまいましたが、「こんなのび太観たくなかった!」という私情を別にしますと、最終的に以下のような点が個人的にはちょっと合わなかったなと感じました。
・おばあちゃんの話と結婚の話、どちらを描きたかったのかハッキリしていない
・大人のび太をダメ人間にしすぎて、周囲の人から愛され認められるというドラマに説得力がない
さらに、以上の二つより派生して、
一連の騒動を子どもののび太が忘れるオチのため、
1) おばあちゃんがのび太の頑張りを評価してくれた言葉が本人に残らず、この映画のクライマックスを自ら打ち消している
2)大人になったのび太が今回と同じ騒動を繰り返す可能性が高いが、記憶があれば再現する必要は無い。しずか達に心配をかけ続け、入れ替えロープのくだりで失敗する危険を回避しないのは後味が悪く、不合理。
という部分が納得いかないものとなっていました。
ここまでなんだかひたすら文句を述べてしまって申し訳ありません……
今回はスピーチの内容とおばあちゃんが現在ののび太を認めてくれる描写がとても良かったので、それゆえに、なぜそれを打ち消してしまうのか本当に惜しかったのです。
本気で憎んでいるとかではなくて、あーだこーだ言いながら観るのもまた楽しみのひとつですし、それ以外にも良かった部分がたくさんありました。
◇
以下、簡単ではありますが良かったと感じたところについても述べたいと思います。
・タマシイム・マシンで過去の自分に助けてもらうんだ!
タマシイム・マシンは「過去に戻って体験してくる道具」というイメージ(私の思い込み)だったので、過去の自分に何か作業をさせるという展開が新鮮でした。そうだよなあ、原作でもコーラ飲みたいとか言ってたもんなあ。道具の新たな可能性を感じることができました。
・天気に左右されないガーデンウェディング
この映画に合わせて発売された原作マンガ傑作集「ドラえもんまんがセレクションSTAND BY ME ドラえもん2」には山崎・八木両監督のインタビューが載っていておすすめなのですが、その中で八木監督が「(自分の結婚式の時に)欧米的なガーデンウェディングをしてみたかった」とおっしゃっており、なるほど、披露宴の描写に力が入っていたのはそのためだったのか、と納得しました。
作中のように、雨が降っていてもガーデンウェディングができるのは良いですね! おそらくは寒い季節にも温度調整で対応できるのでしょう。
このインタビューではプリンスメロンホテルのモデルになった場所についても触れられているので、要チェックです。(電子版もあります)
・エヘヘ…白目をむいて寝るのがクセなんですよ!?
このあたりのごまかし方が強引で笑いました。そりゃあびっくりするよねえ。
原作やアニメだと街の人々があまりツッコんでこないので、こういうのは派生作品ならではの面白さだったと思います。いや、ほんと、この映画で一番お気に入りのギャグかもしれない!
・しずかの服飾・アクセサリー類のデザインが凝ってる!
2020年11月27日の朝日新聞夕刊掲載の監督両氏インタビューによると、今作のCGモデル自体は前回のものと同じだが、しずかのドレスのレースやピアスなどの細かい部分の作りこみを増しているということです。
そうそう、ウェディングドレスのデザインや質感が本当に綺麗だった! 個人的にはピアス(イヤリングだと思ってました)が2種類出てきて、どちらもデザインが特徴的で印象に残っています。結婚式のシーンではドレスに合わせた網目状の格調高いデザイン、そしてのび太が帰ってこなかった1年後の場面では土星のような惑星をモチーフにしたような個性的なデザインのものを身に着けていました。とくに後者は、つらい場面なのですが、そのデザインのインパクトが強かったです。
2011年にテレビアニメ版で放送された「のび太の結婚前夜」のように、なんらかの思い出のあるピアスなのかな?とも思ったのですが、特に作中では触れられなかったのが残念でした……(でも意図的に目立たせてる感じだったので何か裏設定がある気がします)
大人のび太本人は、しずかのドレス姿をあまり見れていないはずなので(写真撮影は別だと思うけど)、残りの披露宴の時間、目をかっぽじって拝むよーに! そしてちゃんと綺麗だって言ってあげてね!
・ラーメン富士の出前用スクーター爆走
SBM1にもラーメン富士の広告ありましたね。まさか今作でこんな活躍(?)するとは。
ご近所の配達スクーターが街をぶっ飛ばしていくという画が観ていて楽しいです。前作の未来世界のタケコプター飛行シーンに引き続き、「あ~今回はこのアクションシーンが作りたかったんだな~!」というのが伝わってきました。製作スタッフの皆さんの「うお~モリモリ動かすぜー飛ばすぜ~ひゃっほう!」というような、作ってて楽しそうなノリノリ感が出ていたと思います。
・入れかえロープに根性論!?
フリーアナウンサーの羽鳥慎一さんが「入れかえロープ」の役と聞いたときは「!?!?」となったのですが、観て納得。やる気のないロープの演技上手い!変な意味じゃなくて本当に「うわーこれは危険性以外の理由でも回収されそう!」と説得力がある素晴らしい演技でした。
ドラえもんが「あきらめるな!なんでもやってみなくちゃわからないじゃないか!」と道具に向かって叫ぶのは、普通に考えれば「科学的には根拠がない」ことで、もっと「現実的な対処をしろ」と言われそうな行為なのですが、この道具にこういうやる気のない人格が付与されているのであれば、強く言ってみる意味はあるというもの。普通の道具は使用者が望む限り機能を作動させ続けるものだと思うので、ドラえもんがロープに要求を続けていなければ、のび太の気力が蘇っても元に戻れなかったのかもしれないと考えるとハラハラさせられます(もちろんのび太への呼びかけも)。
この場面は道具がへっぽこであることにちゃんと理由があり、物語上でも意味があったので、とくにダメさに引っかかることもなく、良い意味で「うわあ、こいつやばいわー」と大笑いしてしまいました。
やる気のないヤツでしたが、羽鳥さんの演技も相まってなんか憎めない感じです。
今作のMVPはキミだ!
・ママ玉子さんの演じ分け
今作ではのび太のママ玉子さんは、のび太の生まれた日、のび太が3歳頃、現在ののび太、そしてのび太の結婚式当日と、4つの時代で登場していましたが、そのどれも細かい演じ分けで年齢の違いが表現されていて、さすが三石琴乃さん!とうなってしまいました。
のび太の生まれた日の玉子さんは若々しさと我が子が誕生した喜びを、3歳の頃は可愛らしさと息子を守る強さを、現代の玉子さんはのび太の扱いに慣れた貫禄を、結婚の日の玉子さんは人生の積み重ねをそれぞれ感じさせるものでした。しずかもまた歩んでいく道なのでしょうか……
・くまちゃんはのび太の人生と共に
3歳ののび太のためにおばあちゃんが繕っていたくまちゃんは、のび太の誕生に合わせて作られたもの、という本作オリジナルの設定がなるほどなあと感じられました。のび太へのおばあちゃんの想いが宿り、恐らくママがそれを受け継ぎ、のび太本人もその気持ちを大事に持ち続け、披露宴のウェルカムボードを飾る。この映画のエピソードを縦につなぐものとして、重要な役割を果たしていました。原作では物置の掃除の途中でママが落とすという扱いだったので、今作のようにのび太の部屋にあったものという描写になることで、受け継がれてきた想いというドラマ性が増した印象です。
・エンディングで物語の幕間を補足
前作SBM1のエンディングの「撮影NG集」という演出はメタが強いせいか、賛否が分かれていたようですが(私は嫌いではなかったです)、今作SBM2では本編で省略された部分にあったであろう、その後のひとこまが描かれる方式になっていました。
スクーターを持ち出した件について、ちゃんとラーメン屋さんに謝っていて良かった……!
あると無いとでだいぶ印象が変わりそうな場面ばかりでしたので、テレビ放送の際にはぜひカットしないでほしいなあと願います。
・小学生のび太とドラえもんは良い相棒!
今作ののびドラはおばあちゃんのために頑張ったり、大人のび太を追跡したり、息ピッタリの親友、相棒として本当に良い関係だったなあと思います。
SBM1はドラとの関係を構築していく物語だったので、まだまだ心が通じ合っていなかったり、しずかとのエピソードでは話の都合上放っておかれていたりと、ちょっとハラハラしたので、今回は「おなじみののび太&ドラえもん」という関係で一貫していて安心して観ていることができました。
映画の構成の上でも、現在ののびドラの足並みが揃ってないと話の焦点が散らばってしまうので、現在のふたりのドラマまで無理して盛り込もうとせず、思い切って取捨選択されていて良かったなと感じます。
・のび誕→11月22日(いい夫婦の日)に合わせた公開
某鬼滅さんや某ポケモンさんの兼ね合いもあって、たまたまこの時期…だったのかもしれませんが、11月22日(いい夫婦の日)直前の金曜日公開というのは、なかなか良いタイミングだったなと感じました。もちろん、延期していなければ一番良かったのですが……
公式SNSではドラえもん(水田わさびさん)の声で結婚おめでとう動画を送ってもらえるという企画があり、ドラえもんトークライブに参加されている芸人さんがメッセージを受け取って喜んでいらっしゃるのを見かけて心がポカポカと幸せな気分になりました。
◇
ということで長く語って参りましたが……
併映短編の無い現在の春映画ではなかなか扱いづらいタイムトラベルドタバタものだったり、のび太の人生の節目を扱っていたりと、派生作品として意義のある力作だったと思います。
ファンの方々の感想はSNSで見る限り、圧倒的に好意的ですし、全体的に満足度の高い作品ということで間違いないでしょう。
ただ、良かったところもあれば悪かったところもあるという意見、釈然としなかった部分があると語っている方がほとんど居なかったので、話の構成や大人のび太の描き方がどうしても受け入れられなかった自分がファン失格なのではないか、そう思っているのは世界で自分だけではないか、性格の悪い観方なのではないかと大いに悩み苦しむ日々が続きました。
いや、実際私の性格は悪いのだと思いますが……
ただ、本来映画は一本の作品の中でも人それぞれ、好きなところもあればそうでもなかった場面も出てくるものだと思いますし、いろんな意見が交わされたほうがより深まっていくものではないかと感じますので、「中にはこんな感想を持った人間もいたよ」ということをネットの片隅に公開しようと考えました。不愉快に感じられた方がいましたら本当に申し訳ありません。
勝手ではありますが、私個人としては、こうして心に引っかかっていたことを文章にまとめられたことで、それに捉われていた心の区切りがつき、純粋にこの作品の面白かったところ、素晴らしかったところを改めて考えられるようになったと思います。
最後になりましたが、今年の特殊な状況下で無事この作品が公開され、楽しむことができたことに、製作に携わった方々、スポンサーの方々、映画館の方々、全ての方々に感謝を伝えたいです。
また、次の春映画、そしてそれ以降と新たな物語に出会えるのを楽しみにしております。
乱文長文でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!
やや批判的な文章になってしまったのですが、好きだという方を否定するつもりはありませんし、この映画が「悪い」ということでもありません。「こんな感想の人もいるんだな」くらいで流して頂ければ幸いです。
また、できればぜひとも実際の映画をご覧頂けますようお願いします。(感染症予防の観点から無理しない範囲で!)
以下、結構厳しい言い方になっている部分もありますので、この映画が楽しかったという方には不愉快な文章になっている可能性があります。勝手なことで申し訳ありませんが、ご容赦頂ける方のみお進みください……本当にごめんなさい。
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2014年に制作された前作スタンド・バイ・ミードラえもん(以下「SBM1」)では、7つもの原作エピソードをつなげているせいで、登場人物の感情の流れが不自然になっていることが問題だと感じました。
(前回の感想記事をご参照ください)
具体的にはのび太とドラえもん、のび太としずかのエピソードが交互に来るせいで、それぞれの親交がこま切れになっていて、十分な積み重ねができていないのに、なぜかクライマックスでどちらも成就したことになっていることに違和感を持ちました。
今回のSBM2では、結婚式当日ののび太の様子をオリジナルで描くことを中心とし、そこに原作の「おばあちゃんのおもいで」と「ぼくの生まれた日」のエピソードを加え、さらに若干「45年後…」と「しずちゃんさようなら」(SBM1に引き続き)、「のび太の結婚前夜」(SBM1に引き続き)の要素が入れられていたと思います。
前作に比べるとオリジナルの部分が多めになったため、エピソードの反復横跳びをしている印象はなくなり、一つの物語として筋が追いやすくなっていたと感じました。この点は本当に、すっきりとして観やすくなったと思います。
けれども、おばあちゃんに会いたい、おばあちゃんの願いを叶えたいという話から、結婚に不安を感じるのび太の話になり、最後にまたおばあちゃんの話に戻るという構成は、「結局結婚の話とおばあちゃんの話、どっちの映画だったのだろう?」という疑問が残るものになってしまいました。
仮に「おばあちゃんに結婚式の様子を見せるために、逃げたのび太を戻さなければならなかったのだ」というのであれば、主軸はおばあちゃんの話になるはず……
ならば「結婚式の様子を見せてくれたことよりも、そのために色々のびちゃんが頑張ってくれたことが嬉しい」と、小学生ののび太を認めてくれた場面がこの映画の集大成になるはずですが、そのことをのび太は「ワスレンボー」で忘れてしまったのですよね……
おそらく、今回の騒動の記憶があると、のび太が逃げ出す一連の出来事が未来で発生しなくなるので、そういう構成にしたのだと思いますが、個人的にはここが釈然としませんでした。
現在ののび太が忘れていても、過去のおばあちゃんが体験できたならそれで良いじゃないか、とすることもできるでしょう。けれども、おばあちゃんに結婚式を見せて満足するだけではなく、その結果おばあちゃんから掛けてもらったあの言葉が重要だったわけですし、それは今後ののび太の人生において道を照らし続けるものになったはずなので、「なんで忘れさせた!?」と思わずにはいられません。のび太の頑張りを認めてくれたおばあちゃんの気持ちを否定する行為でもあります。
一連の出来事を覚えていたなら、確かに今回の騒動は起きなくなってしまうかもしれません。けれどそれは「しずかが結婚相手ではなくなる」というような大規模なルート変更になるわけでもなく、むしろ当日に逃げて皆を傷つけるようなこともなくなるので、全て円満なのではないでしょうか(おばあちゃんの願いを叶えることはのび太が逃げなくても達成できるため)。
そもそも「セワシがドラえもんを送り込んだことで未来が大きく変わる」というのがこの作品の発端ですので、未来を絶対変えてはならないということはないはずです。
「この騒動を経ないと結婚式後にのび太が迷って失踪する可能性がある」という説も考えましたが、のび太がおばあちゃんからかけてもらった言葉(&今回の騒動のひどさ)を覚えていれば充分代替となり、心の支えとなっていくことと思います。
唯一、大人のび太のスピーチだけは、逃走を経ていないと”全く同じ文章”にはならないかもしれませんが、それも前述のとおり、子どもの時に体験した騒動と、生まれた日の両親の様子、今回のおばあちゃんとの思い出が忘れず心に残っていれば、拙くとも充分想いの伝わるものになるはずです。
また、入れかえロープのトラブルが結構ギリギリであったことを考えると、出来事を繰り返した場合、「次」は上手くいかない危険性すら生じてくるのではないでしょうか。
このように、同じルートを進む必然性は無いし、しずか達を傷つけることも含め、避けられるなら避けてほしい、鑑賞後に余計なもやもやを生み出す描写にしかなっていない、という気がしました。
あるいは根本的な話として、SBM1の「しずちゃんさようなら」編の時点で、小学生ののび太が「ぼくとしずちゃんが結婚すると不幸になる!」と同じことをやっているはずなので、なんでまた大人になってからまた繰り返しているのかがよく分かりませんでした。あれも忘れちゃったのかなあ?
説明が長くなり伝わりにくくなってしまいましたが、のび太に映画後半の出来事を忘れさせたことに文句を言いたいというよりは、「おばあちゃんの話と結婚の話、どちらを主軸にするかが定まっていない」構成が問題と考えております。
いっそのこと、未来ののび太の結婚話を主に据えてしまった方が良かったのではないかとも考えました。「いや、元々この映画の主軸はそっちだろ」という意見もあるかもしれませんが、それならば、おばあちゃんとの交流の部分、そちらにも全て大人のび太が同行すべきだったんじゃないかなと考えます。
例えば最初から、何らかの方法で現代にやってきた大人のび太の依頼で野球や喧嘩など子ども時代の体験をし、生まれた日に行き、おばあちゃんにも会う、という流れにしていれば、「自分には大切にしてくれた家族がいる、友達がいる、だから幸せになれる」というスピーチにも、より自然な説得力が出たんじゃないかなと感じました。
大人のび太は、もちろんおばあちゃん(やおじいちゃん)のことも念頭に置いてスピーチしているはずなんですが、この映画の中では彼はおばあちゃんに会っていないし、あの最後の言葉も聞いていない、しかも子ども時代の経験すら忘れているので、せっかくの要素が、名場面が、おばあちゃんの気持ちが、作品の中で意味のあるものとしてつながっておらず、なんともったいないのだろうと思ってしまいました。
そういう意味では非常に言葉が悪いのですが、SBM1でエピソードが細切れになっていて「それが映画の中でどういう意味を持つか」が考えられていない、という問題が今回も出てしまったかなと考えています。
いや、物語の落としどころはすごく良かったんですよ!
のび太の結婚にまつわるエピソードでは、これまでの映画やテレビでは主に「のび太の持つ優しさやしずかへの想いを具体的に描いて示すことで視聴者としずかを安心させる」というアプローチが王道としてとられてきました。しかし今作ではそれらとはまた違った方向性として、「のび太は家族に愛情を注がれて育った、友達にも支えられた、だから幸せな家庭を築いていける」と示しており、「なるほど!こういうやり方もあったのか!それもいいな!」と、新たな可能性を感じることが出来ました。
また、おばあちゃんについてもランドセル姿やおよめさんを見せること自体が目的ではなく、泣き虫でちょっとわがままだった小さいのびちゃんが、大切な人のために頑張れるいい子に育つんだとおばあちゃんに感じてもらえることが本質だったのだと理解でき、それが果たせて本当に嬉しく思いました。
その落としどころがすごく良いものであったからこそ、だからこそ、その過程をもっとちゃんと積み重ねてほしかった! その結末にもっと説得力を出してほしかったと願わずにはいられません。
◇
それについては、もうひとつ、大人のび太の人間性がひどすぎることも物語の足を引っ張っているように思えました。
ぶっちゃけてしまえば「クズ」で「ダメ人間」すぎるということです。
これが観ていた側の主観ではなく、意図的にそうしていたことはこちらのインタビュー(2020年11月21日時事通信)で「大人ののび太の『ダメっぷり』をとことん強調した」と脚本・共同監督の山崎さんが語っていたことから明らかです。
私がのび太好きなので、ifとは言えあまりのひどさにショックを受けたことも大きいのですが、そうした個人的感情を除いても、映画にマイナス効果しかもたらしていないと感じました。
つまり、大人のび太の人格が度を越してひどいと、そんな彼を愛して認めてくれた人々が不自然になってしまい、その想いが否定されてしまう、ということです。
おばあちゃんやパパママが愛し、しず父が認め、ドラえもんやジャイスネ出木杉が生涯の友として付き合い、しずかが結婚相手に選んだ人物が、「とことん強調されたダメ男」として描かれていると、買いかぶりすぎではないか?なんでそういう評価になったのか?と説得力が無くなってしまい、最後のスピーチを含めた物語のドラマ性をも削いでしまっていると感じたのです。
そもそも結婚に不安を持って逃げ出してしまうことも胸が痛くなる展開なのですが、それ自体はこの映画の肝ですので良いとします。
では、私が何を具体的にひどいと感じたかと言うと、大人のび太が全てにおいて自分勝手すぎるということでした。
まず式を放置して現代にやってきた理由について「こんな自分ではしずかを幸せにできないかもしれない」と語りながらも、皆を悲しませて良いのか問われると「そんなの平気さ、自信さえついたら結婚式の朝に戻るつもりだった」と平然と言ってのけるなど、なぜそこでそんな算段ができるのか、本当に真剣に悩んでいるのか?と疑問に感じました。
さらにタイムテレビでのび太を待ち続けるしずかの姿を見たときも「ごめんよ、でももっといい相手を見つけたら幸せになれる」と一方的に切り捨てたかと思えば、「誰か知らない人と幸せになっている姿は見たくない」と言い、「でも万が一不幸になってたらもっといやだあ」と叫ぶ。
しずかのことを全く考えていない二転三転、その身勝手さに子どもののび太ならずとも頭を抱えたくなりました。
加えて結婚について迷っているだけならまだしも、なぜかその話を忘れたかのように子ども時代に戻りたいと言い出し、現在ののび太と入れ替わって遊びに行く始末……
「あ、ここからは原作の『45年後…』のエピソードに突入するんだね、だから前のパートと感情がつながってなくても仕方ないね」と、割り切れれば良かったのかもしれませんが、それはそれで、SBM1から引き続く問題点が同じように表れてしまっていることになります。
いや、もう、本当、構造上の問題点うんぬんよりも、あの悲しそうな未来のしずかを見た後で、ルンルンと野球しに行かないでくれ!!という気持ちになりました。
そこまでして強引に切り替えた子ども時代のエピソードが、のちの披露宴スピーチに繋がっていく体験として必要なのはわかりますが、ジャイスネをわざわざ怒らせるようなことを言ったり、不良たちを過剰に煽るのはなぜなのでしょうか? どうしてわざわざトラブルを起こすようなことをするのか、大人のび太はジャイアンたちがこの時代で実際に存在していると思っていないかのような、自分の楽しさだけを追い求めた行動を取っていて、これもまた観ていて辛い点でした。(原作の「45年後…」はわざわざ人を怒らせるような行動はとっていません)
これでは不良が執拗に追ってくるのもやむなし、逆にジャイアンとスネ夫、そしてしずかがなぜ助けてくれたのかという説得力にも欠けます。
こうした大人のび太の一連のダメっぷりについて、「元々こんなものじゃないか?」、原作「雪山のロマンス」などでも頼りなくてダメな青年として描かれているだろうという意見もあるかもしれませんが、前述のように山崎監督が「とことん強調した」と証言していることに加え、以下の三点によってそれは違う、過剰であると考えております。
まずはどの時点ののび太であっても「大切な人が悲しんでいるのを放って遊びに行く」、「わざわざ人を怒らせるような煽り方をする」ような人物ではないだろうということです。
私ものび太が優しいだけの人物とは思っておらず、むしろクズな部分も欠かせないとは感じますが、「のび太の地底国」や「たまごの中のしずちゃん」あたりが原作における最悪描写だとしても、やっぱり今回の振る舞いはちょっと行き過ぎではないかなと思えました。
煽りに関してはわりと近いときもあるかもしれませんが、他者の身体を借りた状態でやらかしていることや、中身が10歳ではなく大人の人間であることを考えると同条件とは言えず、より悪質と思えます。
また、自分が原因で人を悲しませたままでいるようなエピソードについても、記憶の範囲内ではちょっと思い当たりませんでした(いつも0点をとってママを悲しませていることですら、別に良しとはしていないので)。個人的にはそんなのび太であってほしくないと願います……
二つ目に、原作「雪山のロマンス」の描写は”それが描かれた時点の未来”であるということです。連載当初はのび太の結婚相手はジャイ子でしたが、未来が変わってしずかとなったのは承知の通り。そして「雪山~」の時点で「そばについててあげないとあぶなくて見ていられないから」としずかが結婚を申し出るわけですが、私はこの評価が最終的な未来ではない、と考えています。
あの情けない姿を見たのび太がまだまだ頑張り続けることで、しずか父が認め、出木杉が大切な息子を信頼して預けていくような未来にたどり着けるのではないでしょうか。
連載末期の発表であるこの「しずちゃんをとりもどせ」のエピソードのルートにたどり着いたのび太としずかがどのような恋愛をするのかは不明ですが、「あぶなくて見ていられないから」と称された、そのままののび太ではなくなっていると思われます。
となるといっそ、「今回の映画はその”ダメなルート”の大人のび太を描いた話なんだよ!」と仮定することもできますが、それなら原作通り「こんなみっとものないのはいやだ!」と現在の子どものび太が奮起をしなくてはならないはずです。そうすれば「回避すべき未来」として、今作の大人のび太があえて徹底的にダメな人間として描かれていることに意味も出てくるでしょう。
しかしこれまで述べてきたように、映画の結末で子どものび太は「ワスレンボー」で一連の騒動を忘れてしまっているので、この説は成り立たず……今回の記憶がなければ、反面教師ともならず、そのままダメなルートに突入してしまう可能性が大となります。
本当に、大人ののび太をここまでダメ人間にした意味は何だったのか!?となってしまいました。
私は夏の映画の感想で「エゴに走る問題人物が居たとしてもそれは物語上そういう役割を与えられているからであり、それを理由に”作品そのものに問題がある”とするのは違う」と述べましたが、改めて補足すると、それは作品の中で問題行動をする理由や意味がある場合に限ると思っています。(それまでの誤りを反省して共に乗り越えるドラマにするなど)
山崎監督は前述のインタビューでのび太のダメっぷりをとことん強調した理由について、「ダメな男が頑張るから面白い」と語っているので、それが狙いなのでしょう。
けれど今作の大人のび太は頑張っていたか?そして面白かったか?と考えるとどうしても納得することができませんでした。
騒動を経て多少は反省しただろうし、喧嘩から逃げなかったのは立派だったのかもしれない、周囲の愛情を理解しただろうし、それを生かしたスピーチができたのは見事だったかもしれない。
しかし作中で「頑張った」のは小学生ののび太とドラではないだろうか。大人のび太はほとんど能動的に動かず、周りの事態に流されて、結果いくばくかの学びがあっただけではないだろうか?
マイナス200のダメっぷりがプラス2になるような話だったけれど、なぜそんな極端なマイナス値で描いたのか? マイナス2がプラス200になるような「頑張り」の話じゃだめだったのだろうか?と、思えて仕方がありませんでした。
「いやいや、あのスピーチ良かっただろうが!」とお思いの方も少なくないことでしょう。確かにスピーチの内容はとても良かったです。だからこそ、だからこそ! この場面に至るまでにもっと説得力を出してほしかった。そこに行くまでの出来事が「徹底的にダメ人間として描かれたのび太」ではなくて、その優しさとか勇気とか、何度もつまづきながらも最後には起き上がる強さとか、そういうものであってほしかった。それでこそあのスピーチが彼の中から出てくることに納得がいっただろうと思うのです。
これは私の個人的感情以外でも、物語の構成上もそうであるべきだった、と考えます。
常にのび太のそばで見守っていたおばあちゃんは、泣き虫でわがままなのび太くんに振り回されていたわけじゃなくて、あの子の良さを感じていただろうし、幸せでかけがえのない時間を過ごしていたはず。そして、きっと優しく強い子に育ってくれると信じていたはず。
だから小学生、そして大人になった結婚時と、おばあちゃんがそう信じた通りに優しく強い人物として成長した姿を描くことで、それが間違っていなかったと裏付けるべきでした。それでこそおばあちゃんのパートと結婚式のパート、この映画の2つの要素が意味のあるものとしてつながっただろうと思えるのです。
おばあちゃん、ドラえもん、そしてしずかと、それぞれの人物とのび太の間で「STAND BY ME」=そばにいてほしい/そばにいたいという関係性が自然なものとして納得いくようにするには、大人のび太は「とことんダメ人間」では無い方が良かったと言えるのではないでしょうか。
まとめると、大人のび太が徹底してダメ人間に描かれているのは意図されたものであるが、
・ダメな人間が頑張る面白さが出ているとは言い難い
・子どもののび太がそのダメっぷりを反面教師にして頑張る話でもない(忘れてしまう)
・ダメさが度を越しているため、大人のび太をとりまく人物たちの愛情や評価に説得力が無くなっている
という以上の点で、この映画における大人のび太のダメさ強調は不必要であると考えました。
もう、感情的になっちゃいますよ……そもそも大人のび太が結婚式当日に現れない、その時点で現在ののびドラが探しに行く話では駄目だったのでしょうか?
なぜそのあとの混乱をじっくり描いて、逃げたのび太のひどさを際立たせたのか?
のび太の両親が申し訳なさそうにしている姿なんて見たくなかった、居なくなったのび太を一年も待っているしずかなんて見たくなかった。チャペルの誓いもケーキ入刀も出木杉くんのメッセージもみんな「本物ののび太としずか」で経験してほしかった。
そんな想いをしずか達にさせておいて、あの大人のび太は「決心がついたら帰るつもりだった」などと言って現代ののび太の姿でトラブルを巻き起こす…そこまでダメ人間であることを執拗に描く必要はあっただろうか?
彼女と一緒に居たいという願いを確かめる物語にするために、あそこまでひどい性格にすることと、騒動を必要以上に長く描写する意味があったとは、どうしても思えませんでした。
また、これは映画の感想そのものから外れてしまうかもしれませんが、原作のある作品において、主人公クラスのキャラをわざわざカッコ悪く描くということに何のメリットがあるんだ?という疑問も大いに感じています。昨今は漫画作品の実写化、アニメ化、たくさんありますが原作ファンの動員を期待しているならそれはかなりリスキーではないでしょうか?
物語の必要上あえて悪くしているとか、反省して変化していく過程を描いた話だというならまだしも、そうでないのはここまで述べてきたとおり。元々そんな良い性格でもないだろと言われても、強調ぶりが「度を超えている」ため、作中で彼を愛して認めてくれている人々の説得力や気持ちをも吹き飛ばす逆効果となっていました。
「銀河超特急」でメタ発言されているように、いいじゃないですか、「映画になるとカッコいい」のび太だって。ダメなのび太は普段のテレビ版とか原作でいっぱい描かれています。
3DCGの素晴らしくきれいでわくわくする映像、私はそこでかわいいドラえもん、美しいしずか、そしてカッコいいのび太が観たかったのです。
本当にイチャモンになってしまって申し訳ないのですが、「ドラえもん」以外の作品で想像してみたとき、例えばラップの芯を振り回して必殺技を真似したマンガ、寝る間を惜しんで遊んだ大好きなゲーム、それらが映画になった時、「登場人物のダメさを強調して面白くしました!」と言われたときに、「ええええええ!?」となる、その気持ち。
決して全員がそうだとは言いませんが、中には「観たかったのはこういうのじゃないんだ!」と思う人間も出てしまうのもご理解頂けないだろうか? と、面倒くさいファンからの一方的で無茶苦茶だと承知しながらも、そんな気持ちを抱いてしまった作品でした。
◇
少々脱線してしまいましたが、「こんなのび太観たくなかった!」という私情を別にしますと、最終的に以下のような点が個人的にはちょっと合わなかったなと感じました。
・おばあちゃんの話と結婚の話、どちらを描きたかったのかハッキリしていない
・大人のび太をダメ人間にしすぎて、周囲の人から愛され認められるというドラマに説得力がない
さらに、以上の二つより派生して、
一連の騒動を子どもののび太が忘れるオチのため、
1) おばあちゃんがのび太の頑張りを評価してくれた言葉が本人に残らず、この映画のクライマックスを自ら打ち消している
2)大人になったのび太が今回と同じ騒動を繰り返す可能性が高いが、記憶があれば再現する必要は無い。しずか達に心配をかけ続け、入れ替えロープのくだりで失敗する危険を回避しないのは後味が悪く、不合理。
という部分が納得いかないものとなっていました。
ここまでなんだかひたすら文句を述べてしまって申し訳ありません……
今回はスピーチの内容とおばあちゃんが現在ののび太を認めてくれる描写がとても良かったので、それゆえに、なぜそれを打ち消してしまうのか本当に惜しかったのです。
本気で憎んでいるとかではなくて、あーだこーだ言いながら観るのもまた楽しみのひとつですし、それ以外にも良かった部分がたくさんありました。
◇
以下、簡単ではありますが良かったと感じたところについても述べたいと思います。
・タマシイム・マシンで過去の自分に助けてもらうんだ!
タマシイム・マシンは「過去に戻って体験してくる道具」というイメージ(私の思い込み)だったので、過去の自分に何か作業をさせるという展開が新鮮でした。そうだよなあ、原作でもコーラ飲みたいとか言ってたもんなあ。道具の新たな可能性を感じることができました。
・天気に左右されないガーデンウェディング
この映画に合わせて発売された原作マンガ傑作集「ドラえもんまんがセレクションSTAND BY ME ドラえもん2」には山崎・八木両監督のインタビューが載っていておすすめなのですが、その中で八木監督が「(自分の結婚式の時に)欧米的なガーデンウェディングをしてみたかった」とおっしゃっており、なるほど、披露宴の描写に力が入っていたのはそのためだったのか、と納得しました。
作中のように、雨が降っていてもガーデンウェディングができるのは良いですね! おそらくは寒い季節にも温度調整で対応できるのでしょう。
このインタビューではプリンスメロンホテルのモデルになった場所についても触れられているので、要チェックです。(電子版もあります)
・エヘヘ…白目をむいて寝るのがクセなんですよ!?
このあたりのごまかし方が強引で笑いました。そりゃあびっくりするよねえ。
原作やアニメだと街の人々があまりツッコんでこないので、こういうのは派生作品ならではの面白さだったと思います。いや、ほんと、この映画で一番お気に入りのギャグかもしれない!
・しずかの服飾・アクセサリー類のデザインが凝ってる!
2020年11月27日の朝日新聞夕刊掲載の監督両氏インタビューによると、今作のCGモデル自体は前回のものと同じだが、しずかのドレスのレースやピアスなどの細かい部分の作りこみを増しているということです。
そうそう、ウェディングドレスのデザインや質感が本当に綺麗だった! 個人的にはピアス(イヤリングだと思ってました)が2種類出てきて、どちらもデザインが特徴的で印象に残っています。結婚式のシーンではドレスに合わせた網目状の格調高いデザイン、そしてのび太が帰ってこなかった1年後の場面では土星のような惑星をモチーフにしたような個性的なデザインのものを身に着けていました。とくに後者は、つらい場面なのですが、そのデザインのインパクトが強かったです。
2011年にテレビアニメ版で放送された「のび太の結婚前夜」のように、なんらかの思い出のあるピアスなのかな?とも思ったのですが、特に作中では触れられなかったのが残念でした……(でも意図的に目立たせてる感じだったので何か裏設定がある気がします)
大人のび太本人は、しずかのドレス姿をあまり見れていないはずなので(写真撮影は別だと思うけど)、残りの披露宴の時間、目をかっぽじって拝むよーに! そしてちゃんと綺麗だって言ってあげてね!
・ラーメン富士の出前用スクーター爆走
SBM1にもラーメン富士の広告ありましたね。まさか今作でこんな活躍(?)するとは。
ご近所の配達スクーターが街をぶっ飛ばしていくという画が観ていて楽しいです。前作の未来世界のタケコプター飛行シーンに引き続き、「あ~今回はこのアクションシーンが作りたかったんだな~!」というのが伝わってきました。製作スタッフの皆さんの「うお~モリモリ動かすぜー飛ばすぜ~ひゃっほう!」というような、作ってて楽しそうなノリノリ感が出ていたと思います。
・入れかえロープに根性論!?
フリーアナウンサーの羽鳥慎一さんが「入れかえロープ」の役と聞いたときは「!?!?」となったのですが、観て納得。やる気のないロープの演技上手い!変な意味じゃなくて本当に「うわーこれは危険性以外の理由でも回収されそう!」と説得力がある素晴らしい演技でした。
ドラえもんが「あきらめるな!なんでもやってみなくちゃわからないじゃないか!」と道具に向かって叫ぶのは、普通に考えれば「科学的には根拠がない」ことで、もっと「現実的な対処をしろ」と言われそうな行為なのですが、この道具にこういうやる気のない人格が付与されているのであれば、強く言ってみる意味はあるというもの。普通の道具は使用者が望む限り機能を作動させ続けるものだと思うので、ドラえもんがロープに要求を続けていなければ、のび太の気力が蘇っても元に戻れなかったのかもしれないと考えるとハラハラさせられます(もちろんのび太への呼びかけも)。
この場面は道具がへっぽこであることにちゃんと理由があり、物語上でも意味があったので、とくにダメさに引っかかることもなく、良い意味で「うわあ、こいつやばいわー」と大笑いしてしまいました。
やる気のないヤツでしたが、羽鳥さんの演技も相まってなんか憎めない感じです。
今作のMVPはキミだ!
・ママ玉子さんの演じ分け
今作ではのび太のママ玉子さんは、のび太の生まれた日、のび太が3歳頃、現在ののび太、そしてのび太の結婚式当日と、4つの時代で登場していましたが、そのどれも細かい演じ分けで年齢の違いが表現されていて、さすが三石琴乃さん!とうなってしまいました。
のび太の生まれた日の玉子さんは若々しさと我が子が誕生した喜びを、3歳の頃は可愛らしさと息子を守る強さを、現代の玉子さんはのび太の扱いに慣れた貫禄を、結婚の日の玉子さんは人生の積み重ねをそれぞれ感じさせるものでした。しずかもまた歩んでいく道なのでしょうか……
・くまちゃんはのび太の人生と共に
3歳ののび太のためにおばあちゃんが繕っていたくまちゃんは、のび太の誕生に合わせて作られたもの、という本作オリジナルの設定がなるほどなあと感じられました。のび太へのおばあちゃんの想いが宿り、恐らくママがそれを受け継ぎ、のび太本人もその気持ちを大事に持ち続け、披露宴のウェルカムボードを飾る。この映画のエピソードを縦につなぐものとして、重要な役割を果たしていました。原作では物置の掃除の途中でママが落とすという扱いだったので、今作のようにのび太の部屋にあったものという描写になることで、受け継がれてきた想いというドラマ性が増した印象です。
・エンディングで物語の幕間を補足
前作SBM1のエンディングの「撮影NG集」という演出はメタが強いせいか、賛否が分かれていたようですが(私は嫌いではなかったです)、今作SBM2では本編で省略された部分にあったであろう、その後のひとこまが描かれる方式になっていました。
スクーターを持ち出した件について、ちゃんとラーメン屋さんに謝っていて良かった……!
あると無いとでだいぶ印象が変わりそうな場面ばかりでしたので、テレビ放送の際にはぜひカットしないでほしいなあと願います。
・小学生のび太とドラえもんは良い相棒!
今作ののびドラはおばあちゃんのために頑張ったり、大人のび太を追跡したり、息ピッタリの親友、相棒として本当に良い関係だったなあと思います。
SBM1はドラとの関係を構築していく物語だったので、まだまだ心が通じ合っていなかったり、しずかとのエピソードでは話の都合上放っておかれていたりと、ちょっとハラハラしたので、今回は「おなじみののび太&ドラえもん」という関係で一貫していて安心して観ていることができました。
映画の構成の上でも、現在ののびドラの足並みが揃ってないと話の焦点が散らばってしまうので、現在のふたりのドラマまで無理して盛り込もうとせず、思い切って取捨選択されていて良かったなと感じます。
・のび誕→11月22日(いい夫婦の日)に合わせた公開
某鬼滅さんや某ポケモンさんの兼ね合いもあって、たまたまこの時期…だったのかもしれませんが、11月22日(いい夫婦の日)直前の金曜日公開というのは、なかなか良いタイミングだったなと感じました。もちろん、延期していなければ一番良かったのですが……
公式SNSではドラえもん(水田わさびさん)の声で結婚おめでとう動画を送ってもらえるという企画があり、ドラえもんトークライブに参加されている芸人さんがメッセージを受け取って喜んでいらっしゃるのを見かけて心がポカポカと幸せな気分になりました。
◇
ということで長く語って参りましたが……
併映短編の無い現在の春映画ではなかなか扱いづらいタイムトラベルドタバタものだったり、のび太の人生の節目を扱っていたりと、派生作品として意義のある力作だったと思います。
ファンの方々の感想はSNSで見る限り、圧倒的に好意的ですし、全体的に満足度の高い作品ということで間違いないでしょう。
ただ、良かったところもあれば悪かったところもあるという意見、釈然としなかった部分があると語っている方がほとんど居なかったので、話の構成や大人のび太の描き方がどうしても受け入れられなかった自分がファン失格なのではないか、そう思っているのは世界で自分だけではないか、性格の悪い観方なのではないかと大いに悩み苦しむ日々が続きました。
いや、実際私の性格は悪いのだと思いますが……
ただ、本来映画は一本の作品の中でも人それぞれ、好きなところもあればそうでもなかった場面も出てくるものだと思いますし、いろんな意見が交わされたほうがより深まっていくものではないかと感じますので、「中にはこんな感想を持った人間もいたよ」ということをネットの片隅に公開しようと考えました。不愉快に感じられた方がいましたら本当に申し訳ありません。
勝手ではありますが、私個人としては、こうして心に引っかかっていたことを文章にまとめられたことで、それに捉われていた心の区切りがつき、純粋にこの作品の面白かったところ、素晴らしかったところを改めて考えられるようになったと思います。
最後になりましたが、今年の特殊な状況下で無事この作品が公開され、楽しむことができたことに、製作に携わった方々、スポンサーの方々、映画館の方々、全ての方々に感謝を伝えたいです。
また、次の春映画、そしてそれ以降と新たな物語に出会えるのを楽しみにしております。
乱文長文でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!
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