すこしふしぎで食べ物が美味しそうな児童書

……が好きでした。
今でもそれは変わりません。


私は絵本を読めるようになったくらいの段階で
すぐマンガに行ってしまったのですが、
(4歳頃・「ドラえもん」12巻からスタートしたオタク人生)
小学校に上がって図書館に通うようになってからは
児童書も平行して読むようになりました。


読書習慣のの第一歩にふさわしく、
手当たり次第に読んではいたのですが、
それでもなんとなく好む本の傾向というのが、
徐々につかめてきます。

学校で友だちとケンカしただとか、仲直りした、だとか
家族とこんなことがあった、というような
ある種「現実的」な本は、
あまり手に取らなくなっていったように思えます。

科学書や、微オカルト本、世界名作も読みましたが、
気がつけば、読んでいるのは「すこしふしぎ」系の物語。

「すこしふしぎ」は藤子F作品に使うべき語であって、
適切ではないかもしれませんが、
漠然と、日常の中に非日常が混ざるような話を
好んでいたような傾向があります。

そのあたりのさじ加減が子どものくせに微妙で、
前述のように、現実的で身近な素材は苦手。
かといって、完全に
「動物の国でクマさんとウサギさんが」
というのは、さすがに少々入り込みにくい年齢。

ということで、主人公がふとしたことで
不思議な体験をするような話ばかりが、
現在の記憶に残っています。


ほぼ「ドラえもん」から読みはじめたから、そういうのが好きなのか、
もともとそういう話が好きなのか、
今となってはどちらかも判りません。
両方の相乗効果かなという気もします。


 ◇

そして、もうひとつ好んでいた、というか、
大人になった現在でもよく思い出せるのが、
美味しそうな食べ物の出てくる作品。

これは前回の記事とも重なるのですが、
『人間は皆日常性から飛躍した不思議の話が好きだ』、
というのと同じように
「美味しそうな食べ物の出てくる話」も
好きな人が多いのではないかと思います。

ずばり、料理を素材にしている作品もあれば、
話の小道具に出てくる作品もあり、
それぞれ記憶に残る話があることでしょうが……


私の場合、やっぱり
「不思議話」でありながら「食べ物話」でもあった作品が
心の殿堂入りを果たしています。


 ◇

と、いうことでまず思い浮かぶのが、
寺村輝夫作、岡本颯子絵の「こまったさん」シリーズ。

図書館で全巻読破、自分でも何冊かは購入しました。
(4巻の「オムレツ」の画像はこちら。)

花屋の若奥さんの「こまったさん」が
なぜか毎回奇妙な世界に迷い込み、
料理をつくるというお話です。

完全に「異世界へ行ってしまう」パターンなので、
少々不思議の度合いが高めではありますが、
材料はカーネーションでもハンバーグはハンバーグ、
無限に出てくる玉子でもオムレツはオムレツで、
つくり方は現実と変わらないところが、
うまく地続き感を出しているでしょうか。

なにより、主人公が大人なのがミソ。
若奥さんという設定だけあって、
夫の「ヤマさん」がちょくちょく出てきます。


勝手なイメージですが、
子どもが不思議な世界に迷い込むよりも、
大人がそんな世界にうっかり足を踏み入れてしまう物語の方が、
よりワクワク読むことができた記憶があります。

大人として、人生経験を経てきて、
しっかりとした自分の世界を持ち、
「日常」というものを把握していると思われるからこそ、
そんな中で出会う不思議が引き立つというような感じでしょうか。


今、「オムレツ」を読みかえしてみると、
ヤマさんが「こんやは、おそくなるから、先にねてていいよ」と
電話をかけてくるところや、
オムレツ島に出かける前に、
「ヤマさんのあさごはんをよういしなくちゃ」と
心配するこまったさんの描写が、
記憶していた以上に生活感があり、驚きました。

で、朝ご飯のために冷蔵庫を開けたら
「オムレツ島」行きなんだよね……
ううむ、日常から非日常への超展開 急展開が実に素晴らしい。


 ◇


もうひとつ、というか今も探し求めてやまない作品が、
茂市久美子作、土田義晴絵の
「レストラン『小さなトマト』と正太さん」シリーズ。(仮)

5巻まで出ていたようなのですが、
1~3巻しか読んだことがありませんでした。

それでも、どうしても好きで忘れられなくて、
数年前にやっと3巻「まほうのはっぱでおくりもの」を
古本で購入することができました。


茂市久美子作、土田義晴絵「まほうのはっぱでおくりもの」表紙



主人公はやっぱり大人。
「正太さん」が営む高原のレストラン「小さなトマト」には
ときどき不思議なお客がやってきて……というお話。

3巻では夏の朝の店先に、
巨大な風呂敷包みが置かれていることから物語が始まります。

土田さんの絵がとても好きです


風呂敷の中身は炊きたてのご飯が詰まった大きなお釜と、
梅干し、そして巨大な朴の葉の束。
同封された手紙には、
これで朴の葉包みのおにぎりをつくってください、とありました。


風呂敷包みと手紙、そして食べ物という取り合わせの不思議感


もちろん本文の表記は「ほおのは」。
単純に児童書だからというだけでなく、
ひらがなだからこそ生きてくるタイトル、物語でもあります。

突然持ち込まれた珍妙な注文の依頼主は、その目的は、正体は?
というのは今回は割愛しますが、
大人になってから再読できたときの感慨は
ひとしおのものがありました。

前述の「こまったさん」より若干対象年齢が高く、
ページ数や描写もそれなりに増しているのですが、
この3巻では正太さんのそれまでの歩みと
家族についての記述がありました。

正太さんが東京のフランス料理店を辞めて、
高原の村にレストランを開いたのが、二年前の春。
ここは子どもの頃亡くした父親のふるさとで、
東京生まれ育ちでありながら、自分のふるさとのようにも感じている。
けれども母親は住み慣れた所を離れることを望まず、
ネコと二人で東京で暮らし続けている……

とのこと。

児童書でありますから、やはり簡易ではありますが、
それでも、大人の目で読み直していると、

「こんな人生もあるんだなあ……
 そこへいくと私なんか、
 時間の浪費というか…くりかえしているような」

と、納戸理人(@「未来の想い出」)的なことを、
つい考えてしまうわけですよ。

正太さんってひょっとして今の自分と大体同じ歳ごろか、
もしくは下ではないか、とかね。


 ◇


たかが子ども向けの本で何を大げさな、
というところではありますが、
子どもの頃、自分と同じ年頃の子どもが不思議な体験をしても、
客観的な物語として楽しむだけで移入はできなかったのに、
大人主人公の物語については、
大人になった今だからこそ感じるものがあるという……
我ながら、妙なものだな、とは思います。

子どもの頃、「自分にも不思議なことが起これば良いのに」とは
思わなかったのは、
ませていたからというよりは、むしろ、
その「不思議」が「日常」と比べてどれだけ異質のものであるか、
そのことを、まだ理解しきれていなかったからかもしれません。

大人になって、それなりに人生経験は得てきて、
自分の世界を確立して、
あまねく行き届く「日常」を知ったからこそ、
余計感じられる「すこしふしぎ」の魅力。

そんなところが理由かな、と自己解釈しました。


 ◇


良くわからないうちに食べ物の話がどこかへ行ってしまいましたが、
私にとってはどちらかと言うと
不思議>食べ物
なのかもしれません。


藤子F作品にしても、
子どもの頃感じた魅力と、
大人になって読んでみて感じるそれとは、
また意味合いが違うのだろうなという気がしてきました。

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